あゆみ

◆ご挨拶
この度は当社のWEBサイトへご訪問頂き誠にありがとうございます。
WEBサイトをリニューアルしました。
第一回目のコラムを書くにあたりどのような内容を書いたら良いのか思いを巡らせておりましたが、お取引をさせて頂いているお得意様、そしてこれから新しく繋がりが出来るであろう皆様方に当社のルーツについてお話しさせて頂きます。
◆創業者の生い立ち
当社の創業者、吉原臣郷(ヨシハラ オミサト)は、明治11年(西暦1878年)に生まれました。絵で身を立てたく浅井忠の門下生として腕に磨きをかけていたようで、門下生に安井曽太郎、梅原龍三郎といった現代でも評される才能溢れる画家達もいました。
同時に岡村政子より石版画も学びました。明治34年(西暦1901年)には単身渡米。渡米後はカリフォルニア高等学校に通学し、英語の勉強をしながらオットマン印刷会社に入社して印刷用インキについても研究を重ねていました。水彩画の勉強もかかさず、明治37年(西暦1904年)にはセントルイス万国博覧会に絵を出品したようです。
吉原臣郷の作品(現在、当社カレンダーに使用)
◆「大和商店」創業
帰国後、画家になることは才能に鑑み断念し、アメリカで学んだ印刷やインキの仕事に従事した後に東京加工紙の前身である「大和商店」を創業しました。アメリカで知り合った方から銀座(旧ザ・ギンザ)に場所を借りることができたそうです。
初めは印刷用インキの製造・販売を生業としていましたが、大正12年(西暦1923年)関東大震災の余燼の中、アメリカでは多く使われていたワックスペーパー(パラフィン紙)に目をつけます。当時日本においては輸入に頼っていたようですが、近い将来に必ず必要になるものだという信念の下、国産化を目指しました。
当初は機械部品、製菓、石鹸などの包材としてワックスペーパーを使用していたようですが、数年後には大蔵省専売局(たばこの包装用として)、また陸軍糧抹廠(食品の包装用として)の指定工場となり、納入先を拡大していきます。
一方、日本が日中戦争や第二次世界大戦へと向かっていく中、工場も強制疎開の為に新橋の田村町(現西新橋)に移転を余儀なくされました。その後、事業の拡大に伴い各地に工場を建設、統合を繰り返し、今の浜松町の本社と牛久市に構える筑波工場という体制になりました。
創業当初から社会的背景や時代の流れに寄り添いながら、ここまでの道のりを歩み進んでくることが出来ましたが、そこには創業者の研究魂、また『信用し且つ信用されること』を信条とした会社の遺伝子に加え、お取引先様との関係、またお引き立てが多分にあったことで現在の当社が存在します。
お得意様や社会の役に立ち、時には当社との関係を築くキッカケになる、そんなコラムを目指して第2回目のコラムへと続いてまいりたいと存じます。